M君とW君、二人のギャッパー(gapper、ギャップイヤー経験者)から想うこと   

M君は、現在大学を休学してバングラディッシュにいる。地域に寄与する教育事業を展開中だ。いわゆるギャップイヤー最前線の彼が、ゴールデンウィークに一時帰国していた。何かできることはないかと、腕に覚えのあるテニスで、石巻市牡鹿中学校の女子フトテニス部でコーチを務め指導した。その女子フトテニス部の生徒から、先日メールを受け取り、震えながら涙がとまらなかったという。 震災で半数以上の部員を失いながら、数年ぶりに市総体を突破して県大会に進んたのだ。逆境の中、戦い抜いた彼女達を思っての感涙だった。


 W君は、全国から今注目を集める国際教養大学(秋田県)に入学し、大学の制度である半年間の「ギャップイヤー」にチャレンジした。まず、「住民参加型地雷除去作業」を行っている認定特定非営利活動法人 日本地雷処理を支援する会(JMAS)の協力を得て、カンボジアで1ヶ月間の研修を受けた。研修内容は、地雷原での地雷や不発弾の除去作業の見学、井戸掘り作業の補助、村として行っていたゴミ削減活動への参加、単身ホームステイによる住民との交流など多岐にわたり、内容の濃い活動が出来た。研修前は発展途上国であるカンボジアの人々に対し、「貧しい生活を送っていそうでかわいそう」というイメージをもっていたが、研修後、その見方が変わったという。

確かにカンボジアは、物資の量や経済力、衛生面など多くの点で、日本に比べ見劣りする。しかし、18歳の彼の目にはカンボジアの人々が毎日をいきいきと過ごしているように映り、「かわいそう」という感覚は違う、また表現としてふさわしくないとも思った。実際に異国の地で研修を受け、日本という国から出たことのなかった「自分の常識」という尺度とは全く違う、もう一つの尺度に出会うことができた。今まで漠然とした概念でしか捉えることができなかった「世界が広がる」感覚を実感できたという。


その後、W君は帰国し、生まれ育った地域の文化にもっと触れたい、理解したいという気持ちになった。いつか自分が受け継いだ文化を知らない他の国や地域の人にも紹介できるようになりたいと考えるようになった。それから地域で古くから歴史のある「四国88カ所巡り(お遍路さん)」をすることにした。途中で身内に不幸があり、結果的には88カ所の制覇は叶わなかったが、遍路の旅の途中や行く先々でいろいろな人と出会い、自分自身を見つめ直す良い機会になったと反すうする。


 W君と同時期に半円間のギャップイヤーを経験し、一緒に入学した友人は次のような活動をしていた。

A君
 タイで自給自足のため畑造りをしている団体のもとで、1ヶ月間のボランティアを経験。異国の地での慣れない生活や、世界各国から集まった他のボランティアのメンバーとの交流を通して、異文化とふれあうことの大切さや、それに伴う難しさを経験できた。

Bさん
 外国人労働者を雇用している国内の農家での体験プログラムを経験。外国人被雇用者と共に作業をするという体験を通して、新聞記事を通して中学時代から興味を持っていた外国人労働者の雇用問題についてより深い理解ができた。

 今W君は、野球部に所属して地区大会でのチーム初優勝を経験したり、大学祭の部門長として約50人の実行委員をまとめる経験したり、文字通り青春を謳歌している。

また、彼は、友人数人と低い人口増加率や高い自殺率等の秋田県のもつ課題に対して、多角的アプローチに繋がる情報共有を提供する活動がしたいと考えるようになった。任意団体ながら組織を設立し、日々格闘している。学生だけの内輪の団体になることなく、多くの人を巻き込みながら、大学生時代を過ごす「第二のふるさと」である秋田県の活性化に貢献したいと考えている。



W君はギャップイヤーを通して、またその後の大学での様々な経験を通して、世界にはまだまだ知らないことが数多くあることに気づいた。職業観としては、世界中の人と関わりながら、まだ日本にはないものやサービスを日本に紹介したり、日本の高い技術力やアイディアを世界に提供したりすることによって、日本を、そして世界の人々の生活をより便利で、より豊かにできるような仕事に携わりたいと考えているという。


 私は、このふたりの青年の魅力はと考える。グローバル・マインドでありながら、ローカルの社会的課題にも視座を持てる若者の誕生だ。つまらない”同調圧力”に屈し、2年もの大事な大学生活を消耗し、形式と無謬(むびゅう)性の追求に終始するくだらない「就活期間」との落差を感じ、大学生の本来の「高等教育のあり方」に思いをはせる。
 
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by krisyoyogi | 2011-06-30 20:03

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