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大学寮の新設・再生は、親元離れた”非日常性”づくりの観点からも評価できる 24日付朝日・朝刊から思う   

 多摩地区で、寮(=寄宿舎)を新設する動きが相次いでいるという。古めかしいイメージや苦学生をイメージさせる寮であるが、ギャップイヤー期間の条件である「親元離れる」という非日常の舞台づくりの視点からも、学年の横・縦の「学びの場所」としても、再評価したい。


 朝日によれば、中央大学は、日野市の多摩平団地を業者がリノベーションし、その1棟を丸ごと国際寮として借り上げたという。留学生に住居を提供する目的と、国際交流の場として活用できないかという視点から、今風にいうところのシェアハウス方式が特徴だ。すなわち、交換留学生、私費留学生、日本人学生が一組になり、ミニキッチンやトイレを共有する。それぞれの個室が共有部分につながり、コミュニケーションを図りやすいようになっている。つまり、日本人学生にとっては、日本にいながら「海外留学」を謳歌できるわけで、寮生活の1年を義務化している国際教養大学(秋田)を思い出した。日本の学生の賃料は5万円とリーズナブルで、現在40人が暮らしているというが、64人まで可能なので、埋まっていないのは、もったいない。


 国際基督教大学は、定員674人と規模が大きく、全学生の五分の一が入寮できる。少子化の中、他者と一緒に住むことで、他人への配慮や、問題解決の経験を共有できるなど、メリットは大きいはずだ。

電気通信大学は、学部、大学院を通じ8%しかいない”理系女子”のため、女子専用寮を昨年4月に整備している。定員は20人、寄宿料は月4300円と破格だ。


 『広辞苑』で「塾」は①門側の堂舎。②子弟を教授する私学舎。修学の子弟の寄宿所。③慶應義塾の略とある。注目は、③の慶応義塾の意味。慶応大学のHPをたぐると、本来は小規模な私学校を意味し、また寄宿舎のことをいった「塾」ということばが、いつしか慶應義塾のことをさすようになったとある。「お大師さま」といえば弘法のことをさすようなもので、義塾によっておよそ「塾」なるものの全般が代表されたかたちをとっていたと主張している。そして、次につなげている。


 慶應義塾といえども、はじめはやはり字義どおりの小規模な家塾にすぎなかった。場所も門側の堂舎でこそなけれ、江戸の築地鉄砲洲にあった中津藩奥平家の中屋敷内の長屋の一軒に発足し、しかも、次第に大きくなってのちもなお、当初のいかにも家庭的な情愛に満ちた塾風をながくもちつづけてきているのである。それに、寄宿舎という意味でも少なくとも明治初期ぐらいまでは、義塾でも学生は多くが寄宿生で、その寄宿舎への入退を「入塾」あるいは「退塾」といって、「塾」ということばがいわゆる塾舎の義に使われていたようである。(豆百科 No.14  「塾」)


海外に目を転じると、英国のcollegeはOxfordやCambridge などの大学を構成する学寮を指す。 学寮は学部のような専門別の単位ではなく,それぞれ独立した伝統的な特色を持ち、そこでいろいろな専門分野の教師と学生が寄宿するところで、お互いの”知”を高める。日本にはない教育文化だが、こんなところが、意外と大きな高等教育の差かもしれない。


 ”大学寮=寄宿舎=塾”の効用は、見直されてしかるべきだと思う。

by krisyoyogi | 2011-06-25 09:06

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